啐啄同時(そったくどうじ)

啐啄同時(そったくどうじ)

人は変われるのか?

以前、書いたブログで人は変われるのか?について感じたことを書いた。よかったらご参照を。

過去、同業の個人事業主さんや雇用したスタッフ、取引先に対してさえ

「あなたは変わるべきだ!」

と思ったり、伝えたり、アドバイスしたり、叱咤したりして来た。

私だって変われたんだから、貴方だって変われるはずだ

と。

まず大前提として、自分の能力、人徳の無さを棚に上げた行為であった。

また自身の価値観の押し付けでもあった。

なにより他人は変えられないという原理原則が理解できていなかった。

変われる時は啐啄同時(そったくどうじ)というタイミング

人は変われるとしたら、少なからずタイミングがあるように思える。

啐啄同時(そったくどうじ)と言う言葉があるらしい。

「啐(そつ)」
卵の中のひなが、まさに生まれ出ようとして、殻を内側からコツコツとつつくこと(あるいは、鳴き声を発すること)。

「啄(たく)」
そのタイミングを察した親鳥が、外側から殻をコツコツとつつくこと。

「同時」
この内と外からのつつきがぴたりと一致すること。

ひな鳥は自分ひとりの力だけでは殻を破れないため、「啐」の合図と、親鳥の「啄」の助けが同時であることによってはじめて、無事に卵から出ることが出来る

この故事から転じて、主に師匠と弟子の関係や、指導者と教えられる側の関係において、絶好のタイミングを指す言葉として使われます。

弟子や問題を抱える当人の教えられる側が成長の機を迎え、何かを掴もうと努力(啐)しているその時、師匠や指導者、周囲がすかさず適切な教示や助け(啄)を与えることで、最大限の成長・変化へと導かれること。

両者の息がぴったりと合った時、人は変われるのかもしれない

正しいことが必ずしも伝わるとは限らない

啐啄同時、このタイミングが合っていない時期にどんなに正しいアドバイスをしても伝わない

多少なり人を雇い続けてわかって来たことは、

『今じゃないな』という感覚だ。

若い頃はそんなタイミングなどお構いなしで条件反射のように自分の考える正しさを相手にぶつけていた

今は多少なり相手の「啐(そつ)」を待つことが出来るようになったのかもしれない。

雇用が安定してきた一つの要因なのかな~とこの故事を知って思った次第。

しかし日々スタッフを見ていると、「啐(そつ)」したくてたまりませんwww