職人の師匠と弟子の関係

「水を飲む人は井戸を掘った人の恩を忘れない」に思う

水を飲む人は井戸を掘った人の恩を忘れない
(以下は私の別ブログからの転載記事を加筆しています。転載元:https://www.cozyone.co.jp/blog/index.php?QBlog-20120611-1

自分(達)の今があるのは誰のおかげか?ということを忘れない大切さを指す故事に

水を飲む人は井戸を掘った人の恩を忘れない

という言葉があります。

私も今の自分があるのは、あの人のおかげだなと思う人が何人もいます。

「井戸を掘る」という行為を個人の事業に置き換えると、「学ぶ」ことであったり、「経験を積む」ことであったり、「技能・ノウハウを習得すること」であったり、それらを「体系化すること」と言えるでしょう。

現実的には自分という個人に対して

「誰かが井戸を掘って提供してくれる」

という甘い現実はありません。

仕事で多少なりとも成功するには、

ここに水脈があるよ。井戸を掘ってごらん

というヒントを与えてくれたり、

こういったケースはここに水脈があるケースが多い

とアドバイスをくれる、師匠やメンターとも言うべき人物のとの出会いが重要です。

またそういった出会い・機会(チャンス)に恵まれるケースがあるかないかがまずは第一関門のような気がします。

まれにビジネスセンスや技術習得の天才のような人は誰彼に教わることなく自ら水脈を掘り当てる人もいますが、私のような凡人はそうはいきません。

次にそういった出会いや導きの機会(チャンス)に触れて、

よし、信じて井戸を掘ってみよう

と行動を起こすかどうかがその次の関門でしょう。

信じぬけるかどうか

  • 「掘ってみても本当にそこに水脈があるかどうかなんてわからない」
  • 「どこまで、どれくらいの期間、掘り続ければいいのか?」
  • 水が出るまで掘り続けているその間の生計はどうやって立てればいいのだ?
  • 水が出たとして、どれくらいの水の量が確保できるのか?

そういった思いが先に立ってしまい、行動に移せない、途中で心折れてしまう人も多いことでしょう。

幸いにして私は今の仕事に関して、「ここに水脈があるから掘ってごらん」「こうやって掘ったらいいよ」と教えてくれた、師匠と言える人との出会いがありました。

しかし、どんなに良い師匠・メンターに巡り合ったとて、当然のことながら、

掘り続ける過程(水で潤えるようになるまでの間)の生活の保障まではしてくれません

現実は甘くない。

水が出るまで掘り続ける間は、

掘り方が悪いのか?

深さが足りないのか?

疲労もあり、痛い思いもします。

そもそも本当にここを掘り続けて水は出るのか?

果たして水が出たとしてそれで潤える(生計が立てられる)ほどの量が出るのか?

本当に信じていいのだろうか?という疑心暗鬼も起きます。

水が出るまでの間は収入も乏しいので当然、食うや食わずの生活です。

ここで

苦しくとも掘り続けることが出来るかどうかが事業主として自立できるかどうかの分かれ目

なのでしょう。

今の日本の社会や世界的な地位があるのはおじいちゃんや団塊の世代のおかげで、私の世代やその下の若い世代は「水を飲む」ことが出来ている。

一方で、個人の人生という視点で見ると先人達や先輩、先生、師匠といった存在を得て、自らが井戸を掘り続けることが人生そのもののような気がします。

努力の成果があり、運あり、縁ありで水脈に辿り着いた時、「ここに水脈があるよ」と教えてくれた人への感謝・恩は忘れてはならないでしょう。

同時に、掘り続け、水脈にまでたどり着くまでの過程を経たそれぞれの個人の継続した努力も不可欠です。

「水を飲む人は井戸を掘った人の恩を忘れない」ことは大切です。

でも職人の世界の師匠と弟子の関係性で揉めがちなのが

『水脈がここにある、と教えてやったのは俺だ!』

「いやいや実際に掘ったのは私です!」

どっちが偉い?どっちの手柄?恩義の重さは?

みたいな話になることがある。

『あんなに面倒見てやったのにあいつは裏切りやがった!』

「確かに恩義は感じてるが、その分いいように都合よく安く手伝ってきたではないか?いつまで弟子だからと言うことを聞き続けなければならないのか?」

とギクシャクし始める。

企業で働く研究者の発明が企業のものか、研究者のものかで訴訟争いになるのも似たケースかもしれません。

業界に連綿と受け継がれてきた人材育成のエコシステム

ある意味では職人の世界では

業界における人材育成の一つのエコシステム

なのではないかと思っているのですが、

先人たちにとっては

後進に技術を伝えたいという名の手元確保

というノウハウと引き換えに労働力を確保するコストとリスクを最小限に抑えた人材確保であり、

後進にとっては

指導という名の手元助手をしながらの丁稚奉公

であり、自らの労働力と時間を引き換えにしたノウハウの確保という

連綿と受け継がれてきた育成のエコシステムだ。

師匠と弟子の継続的な関係性

先日、X(旧Twitter)で下記のようなアンケートを取ったところ、以下の結果でした。

師匠と弟子の継続的な関係性

ぶっちゃけ、意外でした。

もっと「疎遠」「喧嘩別れ」が多いと予想していたからです。

自分がそうだったから皆そうだろうと思うのは良くないですね(笑)

正直、開業当時、私含め周りでは師匠的な存在と継続的に良好な関係でいた同業者さんは皆無といっていいぐらいでした。

まあ類は友を呼ぶで同じような人種が集まっていただけだったのか?(笑)

15年前の当時はSNSなんて言葉もピンと来ていない時代で、YouTubeも娯楽アプリでしかなかったですし、LINEもやっと利用者が増え始めた頃。

そう言った意味ではSNSによって人と繋がりやすくなったのが良い傾向に働いているのかな~など。

雇用にこだわる理由の一つ

私が人材育成において自社雇用、正社員雇用にこだわる理由の一つがこの師匠と弟子の関係に納得がいかなかったというのがあります。

一言で言えば

フェアでありたいから

です。

私にとって雇用というのが、どっちが偉いとか恩義がとか義理を果たすの果たさないのということを越えたフラットでフェアな関係性ではないかと思ったからです。

これはそう考えるのが正しい、正しくないではなく

私がそう思って勝手にそうしていること

です。

また有料の講習でお金でノウハウを買うというのもある意味でフェアではあるものの、

そこは

情弱商法の狩場ハウスクリーニング業界www

私の開業した時代は『エアコンクリーニング虎の巻き』みたいなクソの役にも立たないような内容のマル秘DVDが10万ぐらいで売られれて、まあまあの数「俺買ってた!騙された!金ドブに捨てたようなものだった!」という人がいたものでしたw

しかし、今はSNSを背景にだいぶ減ったように思えます。

そして偽物が駆逐され、本物を伝える数少ない講習・団体がわかって来た時代にもなって来たのかもしれません。

その辺りはまた別のブログで。